翻訳と辞書
Words near each other
・ X(Y)染色体
・ X-02 (架空の軍用機)
・ X-1 (曖昧さ回避)
・ X-1 (総合格闘技)
・ X-1 (航空機)
・ X-10 (ミサイル)
・ X-11 (ロケット)
・ X-12 (ロケット)
・ X-13 (航空機)
・ X-14 (航空機)
X-15 (航空機)
・ X-16 (航空機)
・ X-17 (ロケット)
・ X-18 (航空機)
・ X-19 (航空機)
・ X-2 (航空機・アメリカ)
・ X-2 (航空機・日本)
・ X-20 (宇宙船)
・ X-20 (航空機)
・ X-21 (航空機)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

X-15 (航空機) : ミニ英和和英辞書
X-15 (航空機)[えっくす15]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
航空機 : [こうくうき]
 【名詞】 1. aircraft 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [き, はた]
 (n) loom

X-15 (航空機) : ウィキペディア日本語版
X-15 (航空機)[えっくす15]

X-15は、アメリカで開発された高高度極超音速実験機。ノースアメリカン社によって3機が製作された。ジェットエンジンではなくロケットエンジンにより高高度まで上昇出来る能力を持つロケットプレーンであり、この機体で得られた極超音速下での空力特性や熱力学的影響などの研究結果は、やがてはスペースシャトルの開発にまで貢献するようになる。
== 歴史 ==

X-15の歴史は、第二次世界大戦直後のドイツから始まる。ドイツの敗北と占領によってヴェルナー・フォン・ブラウン博士を含む多数の航空・宇宙技術士を獲得したアメリカは、同時に、当時ドイツの秘密報告書であったゼンガー計画の報告書を手にする。これは大気圏上層をロケットエンジンによってスキップするように飛行し、地球の反対側まで到達して爆撃するという対蹠地爆撃の構想に則ったもので、大陸間弾道ミサイルの開発がまだあまり進んでいなかった時代、その存在は非常に脅威になるものであった。
また同時に、有人宇宙飛行をソビエトと競争するという課題もあり、アメリカはそれに向けて動き出した。
1954年米空軍米海軍NACA(NASAの前身)の三者により、マッハ4以上の極超音速における飛行研究計画が決定した。同年末、各メーカーに要求仕様が提示され、1955年末にベル・エアクラフト社、ダグラス社、ノースアメリカン社、リパブリック社の4社の設計案からノースアメリカンのものが選定された。1956年には、リアクション・モーターズ社のXLR99ロケットエンジンが採用された。だがロケットモーターが間に合わなかったため、初飛行時にはXLR11エンジンを搭載した。1号機の機体は1958年10月15日に完成している(なお、XLR99搭載時にはリアクション・モーターズ社はサイオコール・ケミカル社に合併吸収されている)。〔「Xプレーンズ」,世界の傑作機No67,文林堂 ISBN 978-4893190642〕。
1959年9月17日、専用の空中母機であるNB-52AおよびNB-52Bから滑空テストを行い、その後、XLR11エンジンを使用して初の動力飛行に成功した。1960年3月28日には最初のXLR99がエドワーズ基地に届いていた。それはX-15・3号機に搭載され、6月8日に地上においてのエンジンテストが行われた。だが、XLR99の無水アンモニアタンクの圧力調整弁が故障、爆発を起こした。死傷者は出なかったが機体・エンジンはともに大破。3号機はメーカーのノースアメリカン社で修理されることとなった。1960年には、XLR99を搭載したX-15・2号機が動力飛行を行った。1960年8月4日には1号機がマッハ3.31を達成。8月12日には同じ1号機が飛行高度41,605mを達成した。
X-15の着陸には機体の制限が多く、神経質にならざるを得なかった。機体サイズが小さく、前輪も後部スキッドも短かった。そのために、着陸時にX-15は、下部垂直安定板の一部を切り離して着陸することになった。
1962年11月9日に行われた通算フライト74回目に、2号機が着陸事故を起こした。2号機は修理に伴って改造、胴体や降着装置の延長がなされ、ドロップタンクが搭載可能なX-15A-2となった。
1963年8月22日に行われた91回目のフライトで、ジョセフ・A・ウォーカーの操る機体が高度107,960mに到達した。これがX-15計画中の最高到達高度となった。
1967年10月3日に行われた188回目のフライトで、ウィリアム・J・ナイトの操縦するX-15A-2が最高速度7,274km/h(マッハ6.7)を記録した。なおこの時、将来のスクラムジェット実用化のために実寸大モデルを下部垂直尾翼に装備し、さらに新たに開発された耐熱塗料(蒸発して機体を熱から保護するアブレーション冷却)を塗布した。しかし、この塗料をもってしても機体を守りぬくことはできず、スクラムジェットのモデルは無残に焼失していた。機体は重度の損傷により、引退した。なお、X-15A-2の限界速度はマッハ8と設定されていたが、試験飛行時にその速度を出すことはなかった。
X-15はこれらの記録到達のほかにも、微小隕石の採取や赤外線ラジオメーターを用いた高度21,000m~30,500mからの地球放射の計測などといった学術的な任務にも従事していた。
1967年11月15日に行われた191回目のフライトでは、3号機が高度19,000m付近で空中分解を起こし、パイロットのが死亡した。また、機体は完全に破壊された。
1968年10月24日、1号機による199回目のフライトをもってX-15の飛行試験は終了した〔。現在では1号機がスミソニアン航空宇宙博物館、2号機が国立アメリカ空軍博物館にそれぞれ展示されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「X-15 (航空機)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.